2013年8月14日
真吾オジサンの雑感
愛敬商売について。
広辞苑には、勿論「愛敬」のことも書かれてあります。
【愛敬】 あいきょう
A(「愛嬌」とも書く))
㋐女性や子供などが、にこやかでかわいらしいこと。また、こっけいでほほえましいこと。
㋑人に好かれるような愛想や世辞。また、催しごとや物を売るときに添えるもの。
こう書かれてあります。
広辞苑には、「愛敬商売」ということも書かれてあります。
【愛敬商売】 あいきょうしょうばい
愛敬がなければ立ちゆかない商売。料理屋の類。
こう書かれてあります。
この「愛敬・愛嬌」ということばは、仏教語でもあるようです。
佛教語大辞典には、
【愛敬】あいきょう
@ 欲すること。
A うるわしいこと。
B 愛と敬
C 敬愛。尊敬し愛すること。愛し敬うこと。
【愛嬌】あいきょう
愛敬の転訛。たとえば「男は度胸、女は愛嬌」のように用いる。
こう書かれてあります。
お客さんと顔を合わせる仕事であれば、何の仕事であれ、
この愛敬ということはとても大切なことですよね。
こうでもしないとなかなか財布の紐を緩めてもくれないもんですね。
そうなりますと、仕事として成り立たないことにもなるわけですよね。
こんなものですよね。
愛敬商売、すなわち感情労働と言ってもいいと思いますね。
世間には、こういう業者さんの感情労働ということに思いがいたらず、
兎も角、値段が安ければ安いほど良いと思うている人が多いように思います。
これも一つのライフスタイルですのでこれはこれでいいとも思いますが、
ただすべての場合でその間尺で世間を眺めますと間違えることもあることでしょうね。
野暮なオバサンとかが、「家でお酒を飲めば安くてすむじゃない」
とか言いますが、年から年中この調子ではその旦那さんも草臥れますよね。
たまには外で飲みたいことだってありますよね、人間なのですからね。
なので、愛敬商売も立派なご商売だと真吾オジサンなどは思いますね。
こう真吾オジサンは思うておりますので、ホステス・ホストでも
よほど酷い人でもなければ立派な仕事であると思いますね。
こう思えない人などは度量が狭いとさえ思いますね。