2013年8月17日
真吾オジサンの雑感
呉音について。
教育出版の本で、「漢字・漢語概説」という本があります。
著者は中沢希男。
この本はもう随分前に古本屋で見つけてきたものなのですが、
面白いので気が向いたときには今でも読み直したりしております。
この本の中に、呉音について書かれてあるところがあります。
今回の雑感はこれを引用させて頂きましょうね。
呉音
わが国に漢字が初めて伝わった世代は明らかでないが、
当時の字音がまず基礎となり、その後時代を逐うて入ってきた六朝期のさまざまな字音と、
三韓を経て伝わったやや三韓の音韻に類化した字音などが堆積して、
それが推古朝から奈良朝までの仮名や地名、人名などの字音となっているのであろう。
要するに古くから次々と伝えられた字音の堆積が、後に呉音と呼ばれるものであろう。
飛鳥朝から奈良朝を経て平安初葉に至る間、
長安・洛陽を中心とする北方系の音が流行するに及んで、新米音を漢音と呼び、
これに対して在来音は南方系の音が根幹をなしていたので呉音と呼ぶに至った。
<江南地方は古くから「呉」と呼ばれ、六朝期には江南の方言を「呉音」と呼んでいた。
わが国で江南の方言を呉音と呼ぶのは、これにならったものであろう>
わが元慶中(八七七−八八四)僧安然(あんねん)の著した「悉曇蔵(しったんぞう)」には、
明らかに漢音は唐代の長安音をさし、
呉音は江南の方言をさしている
前にも述べたように、わが国に漢文化を伝える大動脈であった百済の文化は、
南北六朝代にあっては南朝に属する。
加うるに、応神紀三十年、呉織(くれはとり)を招いたことを始めとし、
仁徳紀・雄略紀に呉の入貢や呉人の帰化などのことが見えていて、
わが国と呉地方の交通は史に明記されたもののみでも数多い。
漢音の盛行によって、呉音は仏典の読誦を除き、一般の読書音としての地位を失ったが、
日常語の境界における勢力は、全くその影響を受けなかった。
今日にあっても、仏典は一般に呉音読みであり、
古来の慣用語には呉音読みが多いのはそのためである。
こう書かれてあります。
「仏典は一般に呉音読みであり」というのは、
まあ話のネタにで使えそうですので、どうぞご記憶のほど。