2013821

 

 

 

真吾オジサンの雑感

 

 

 

漢音について。

 

 

 

 

先日、呉音について書きましたが

 

今回の雑感には漢音について書きます。

 

 

 

今回も教育出版の「漢字・漢語概説」からの引用です。

 

 

 

漢音

 

 

漢音は推古朝に随との直接交通が開けてから、

平安初葉ごろまで盛んに移入された長安・洛陽を中心とした北方系の音である。

当時唐文化沈酔の風潮にあおられて、新米音の学習が大学や国学で盛行した。

新米音は「漢音(からごえ)」と称し、「正音(しょうおん)」と称して尊ばれ、

これに対して、在来音は一括して「呉音」と称し、また「和声(やまとごえ)」とも呼び、

「漢音」に比べ一段低く見られていた。

延暦(えんりゃく)・弘仁(こうにん)の間には、漢音推奨に関する勅令がしきりに下り、

儒書・仏書を問わず、読書の正音は漢音であることが規定されていた。

仏家でも帰朝僧の間には漢音読みが盛行した。

なかんずく最澄は熱心な唱導者であったらしい。

しかし、一般には呉音に対する執着が強く、漢音学習には熱意が乏しかったようである。

仏教の弘布が「和音」と呼ばれるまでに、呉音を普及せしめたともいえる。

世俗と密接に関係にある仏家が、

世俗に普及していた呉音と絶縁して新米音につくことは、ほとんど不可能な事情にあったのであろう。

伝来当時の漢音は、純然たる当時の中原音である。

しかし、弘仁前後を境として、唐文化模倣の風潮が次第に衰えるにつれて、

漢音学習の熱意も薄らいでいった。

「続日本後紀」承和(じょうわ)十二年二月、善道朝臣真貞(よしみちあそんさねさだ)の条に、

「真貞、三伝・三礼ヲ以テ業トナシ、兼ネテ談論ヲ能クス。

旧来漢音ヲ学バズ、字ノ四声ヲ弁ゼズ、教授二至リテハ総ベテ世俗踳(しゅん)訛ノ音ヲ用フ。」とある。

この記事は当時の風尚をよく裏書きするものといえよう。

漢音(唐代音)の正しい発音は次第に失われ、

これとは逆に漢音(唐代音)の国語の音韻への類化が急速に進捗しつつあったのであろう。

伝来当初の漢音は純粋の長安音である。

したがって国語の音韻に類化した後のいわゆる漢音とは混同してはならない。

前に述べたように、延暦・弘仁の間には儒家・仏家を問わず、

読書音はすべて漢音(唐代音)によって統制されていた。

しかし仏家ではこの定規が守られず、依然として呉音読みが一般に盛行していたため、

後にはあたかも呉音読みが自他共に仏家の定規であるように考えられるに至った。

一方儒家は当時の伝統を重んじる学風から、漢音読みを遵守して江戸時代に及んでいる。

儒者は漢音読みによって旗幟(きし)を鮮明にし、

仏家の呉音読みに対抗しようとする意図が暗に働いていたのかもしれない。

 

儒家は漢音読みを遵守した。

しかしそれは読書音の場合のことであり、日常語にあってはやはり呉音を用いていた。

しかし明治維新以後、政治や文化の中心の地位にあったのは、儒学の教養に培われた人々であった。

そのために儒家の読書音である漢音が公用語に優勢を占め、ひいては日常語にも影響を及ぼし、

従来呉音読みであった熟語も漢音読みに変えられたものが少なくない。

 

 

 

こう書かれてありました。

 

 

 

儒家は漢音読みを遵守した。

 

これも話のネタにでも使えそうですので、どうぞご記憶のほど。

 

 

 

 

 

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