20131027

 

 

 

真吾オジサンの雑感

 

 

 

表現者の人間性について。

 

 

 

 

表現の世界ってね、表現者の技術が優れているだけではいい表現にはならないと思いますね。

 

技術だけでは深い感動にはいたらないように思いますね。

 

 

表現の技は、優れた表現者の模倣を繰り返したりとか、工夫を加え続けることにより、

 

その表現者とは別の他人の手によっても、

 

技の面では進化がドンドンと進んでいきそうにも思うのですが、

 

表現者の人間性の面でも模倣するくらいでないと、

 

別の他人が優れた表現者の模倣をしたところで、

 

さほど他人に対して深い感動を与えることは難しいのではなかろうか?と思いますね。

 

 

 

 

先日、昔の大河ドラマの「武田信玄」を3話ほど見たのです。

 

支那の動画でこの「武田信玄」を見ることが出来ましたので、3話だけ見たのですが、

 

これを見ているうちにこういうことを改めて思うたようなことです。

 

 

 

最近のテレビ番組はもう面白くないので最初から見る気にすらならないことが多いのです。

 

申し訳ないのですが、女子供の世界の論理ばかりなので、

 

見ているうちに終いにはもうくたびれてくるわけですね。(笑)

 

 

 

 

でもこの「武田信玄」は面白かったですね。

 

 

これは学生の頃に放送された大河ドラマだったのですが、確か毎週のように見ていた記憶はあります。

 

そのときもそれなりに面白がってみていたのですが、

 

オジサンになってから改めて見てみましても、これは本当に面白かったなとは思いましたね。

 

 

 

こちらがお尻の青いうちには見えなかったことも、多少は見えるようにもなりましたので、

 

以前とは違った受け止め方にはなりましたが、ここ最近見た動画のドラマの中では一番面白かったですね。

 

 

 

で、何故そういうことになったのかを考えてみたのですが、

 

「これは表現者の人間性だろうな」

 

ということを思いました。

 

 

 

この「武田信玄」の頃は、確かバブルが弾けた前後の頃でしたよね。

 

なので、お金の面では最近のドラマよりの経費はかけていたのかもしれませんが、

 

映像の技術とかなんとかの面では、いくらなんでも現在のほうが進歩しているはずですよね。

 

きっとそうだろうなと思いますね。

 

 

 

でも最近のドラマって、正直なところ、学生さん向けのようなものばかりで、

 

真吾オジサンなどは

 

「こういうものでも一応は見ておかないとな・・・時代にズレすぎるのもなんだしな・・・」

 

というある種の義務感のような気持ちで見もするのですが、

 

あまりに皮相的とでも言いますか、その浅薄さに、

 

15分くらい見ているうちに、まずは睡魔に襲われまして、

 

まあ30分後にはもう寝ていることが多いのです。(笑)

 

 

 

 

結局、表現者の人間性が駄目なんだと思いますね。

 

 

表現の世界って、どうやっても表現者の人間性が現れるものだと思うんですよ。

 

何の表現の世界にしろね。

 

 

 

なので、表現の技術ばかりではなく、人間性も同時に磨かないとこれは駄目ですよね。

 

こうでないと良い表現にはきっとならないように思いますね。

 

 

 

 

 

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