2014年03月21日
真吾オジサンの雑感
蝶とんで我身も塵のたぐひ哉 一茶
この平成濁世ってね、「私」が肥大化しすぎているようにも思うんですよ。
「幸福追求」という言葉が頭の中にあるばかりの人が本当に多いですよね。
「青人草」ということばがあります。
広辞苑には、
【青人草】あおひとくさ
(人のふえるのを草の生い茂るのにたとえていう)
民。民草。国民。蒼生。
こう書かれてあるのですが、草なのです、人・国民がね。
これだけ幸福追求が過ぎたようなことになっているご時世を見ますと、
人を草・塵のたぐいあつかいにすることも
どこか悪くないような気にもなりますよね。(笑)
幸福追求が過ぎたことになって、義と言いますか、
そういうことがないがしろにされているように思いますね。
詐欺・詐欺まがいなんかはこれですよね。
平成濁世の人はもう少しくらいは、自分のことを
人草・塵のたぐいに思うこともあっていいように思いますよね。(笑)
それなりの年齢になっても死生観のようなものを
なんら持っていない人って、ババアのようなもので、
このくらいどうにもならん人もないように思いますね。(笑)
死生観を持てるようになりますと、
自分のことを人草のように思うこともでき、
塵のたぐいのようなものに過ぎない
と思うことも出来るようになれると思いますね。