2014516

 

 

 

真吾オジサンの雑感

 

 

 

アンチ・コンピュータ戦略を嫌う人について。

 

 

 

 

アンチ・コンピュータ戦略を好意的に受け止めない人が多いですよね。

 

 

何故だろうな?ということを思うたのです。

 

 

 

先日ね、第3回将棋電王戦の第1局の最後のほうだけを見たのです。

 

第2局のPVを見たのですが、そこで佐藤紳哉さんがあれこれといっておりましたよね。

 

 

それを見ましてアンチ・コンピュータ戦略を好まない人というのは

 

将棋を自己表現の場であると思っているのではなかろうか…?

 

こう思いましたね。

 

何となくなのですが、そんな気持ちになったのです。

 

 

 

多分、こういう方は相手が人間の場合であっても

 

自分のプレースタイルにこだわるような人ではないかなぁ…

 

 

 

 

真吾オジサンなどは、魚釣りのことや、投手の投球術のようなことを思うのですけれどね。

 

 

魚釣りでは釣ろうと思っている魚によって、釣り針も餌も釣り方も変えますよね。

 

狙っている魚以外は外道とか言いますもんね。

 

 

 

黒鯛を釣ろうと思っているときと、サヨリを釣ろうと思っているときでは

 

仕掛けが全然異なりますよね。

 

 

 

サヨリの釣り方で黒鯛も釣れると思っている人は

 

頭がどうかしているとしか思えないですもんね。(笑)

 

 

 

投手でも、足の速い1番バッターと、ホームランバッターの4番バッターとは

 

その投球術を変えて当然ですよね。

 

変えないほうがどうかしているとほとんどの人は思いますよね。

 

 

 

ですから、真吾オジサンなどは一向にアンチ・コンピュータ戦略の指し方が

 

悪いことのようにも思えないのですが、

 

どうも多くの将棋愛好家の方々にはこのようには思われないようですね。(笑)

 

 

 

 

まあそのように真吾オジサンは思っているのですが、

 

でもアンチ・コンピュータ将棋戦略を嫌う人のことを好意的に見ることにしますと、

 

将棋をアートのように思いたがっているからではないかという気もしますね。

 

 

対局で負かされたときには自分のミスを悔やむことはあっても、

 

相手のほう、相手の論理のようなことはほとんど思っていないのではないか?

 

 

 

「あの人のものの考え方はこうなのだから…」

 

こういうことを思いながら、対局はされていないのではないかな…?

 

 

 

アンチ・コンピュータ戦略を嫌う人はどうもこういう人なのでなかろうか?

 

という気がしますよね。

 

 

 

 

でも羽生善治さんが動画で

 

コンピュータ将棋がどうなっているのかとかを学ぶ必要があるとかなんとか言っていたでしょう?

 

 

これって、敵さんのものの考え方を学ぶ・論理を学ぶということで、

 

それをコンピュータ将棋にも当てはめたということではないのかなぁ…?

 

違うかなぁ…?

 

 

 

羽生善治さんは、平生の対局のときにでも

 

敵さんの論理のことを思いながら指されているのではないかなぁ…

 

 

羽生善治さんの棋譜は自己表現であるだけではなく、

 

相手の論理と自分の論理が交流している棋譜ではないか…?

 

 

米長永世棋聖の棋譜もそうではなかったかなぁ…?

 

相手の論理を頭に入れて指してもおられたのではないかなぁ…

 

ここでの最善手はこれだろう、だけの将棋ではないようにも思うのですけれどね。

 

 

そんな気もしますけれどね。

 

 

まあ本当のところどうだか知りませんけれどね。(笑)

 

 

 

 

 

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