2014年08月06日
真吾オジサンの雑感
短歌について。
時間が出来た時には短歌関連の本を読むことが多くなりました。
最近買った本を積ん読にしないようにと、
以前に買っていた文庫本を読んだりしております。
「古今和歌集」「万葉集」「金槐和歌集」とかですね。
以前この雑感に書きましたが、今の歌人さんでも政治臭がする作品はどうも敬遠したくなりますね。
角川短歌に、
しひられて秘密の保護を誓ひたれ属国時代にまた迷ひ入る
どこからも攻められやすき列島がまづは津波に滅びそめたる
市民への情報隠しが企られてまたひとつ昭和の時代がさやぐ
照明の角度を下げて仙花紙の「人民短歌」の誌面をたどる
こういう作品が掲載されてあるのですが、
これはこれで好きな方にはいいなぁと思わせるのでしょうけれども、
どうも真吾オジサンは駄目だなぁ。(笑)
なぜだろうなぁ…?
これでも昔はよくこういうことも好きで、政治討論のテレビ番組もよく視ていたものなのですけれどね。
まあそのうちにこういうテレビ番組のことをうるさく思うようにはなったのですけれどね。(笑)
まあそれはともかくとしましてね、さ「古今和歌集」の「仮名序」がお気に入りですね。
[仮名序]
和歌(やまとうた)は、人の心を種(たね)として、万(よろづ)の言の葉とぞなれりける。
世の中にある人、事(こと)・業(わざ)しげきものなれば、心に思ふ事を、
見るもの聞くものにつけて、言ひいだせるなり。
花に鳴く鶯、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。
力をも入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、
男女のなかをもやはらげ、猛き武士(ものゝふ)の心をもなぐさむるは、歌なり。
仮名序の書き出しはこうなのですが、これをいいなぁと思うております。
なんとなくなのですが、こういう文体が好きなのかもしれませんね。
ネットの世界でも、平生の仕事関係のときでも、テレビでも、将棋関連でも
こういう文体の文章にお目にかかることはないので、
それで特にそう思うのかもしれませんね。(笑)
自戒もこめてなのですが、本当はもっといい文章で公表したいものですよね。