2014年08月10日
真吾オジサンの雑感
短歌をこしらえるつもりが俳句になってしまう。(笑)
短歌の本を読んでおります。
思いついた時には短歌を紙の切れ端に書きとめておきまして、
それからノートに書き残すようにしております。
でもね、短歌をこしらえようとと思っているのですが、
なんのことはない俳句で間に合ってしまうことがどうも多いのです。(笑)
五七五七七の七七のところが必要ないことにどうもなってしまいますね。(笑)
万葉集の本を読んだのですが、俳句ではあまりお目にかかることのない言葉が多いのです。
それで広辞苑や康熙字典をひいたりするのですが、
そうこうしているうちにその言葉や漢字を使って表現してみたくなるわけです。
でもこうして出来上がったものは短歌ではなく俳句になってしまうのですね、これがね。(笑)
こうなるのは多分慣れでそうなるのではないかなぁ?
俳句の方が簡単なことを表現しやすいからなのかなぁ…?
短歌のほうは俳句のことを思いますとまあ複雑なことを表現できそうには思いますね。
あとね面白いものでして、短歌をこしらえても
季語が入っていることになるものなんですね、真吾オジサンの場合はね。(笑)
俳句だけをしていたときには、季語の制約があって
それでは表現できることが限られることになるではないか、
季語があると表現できないことも多いな、
こう思っていたところはありましたね。
でも季語を入れる必要性がない短歌をいざしてみますと、
これが自然と季語も入っていることになってしまうと。(笑)
散歩をしているときにこの短歌をこしらえるようにしておりますので、
それでそうなるのかもしれませんね。
コスモスが咲いていたらやはりそれを詠おうとか思いますからね。
まあこれは俳句をしていたときの習慣のようなものでしょうね。