2014815

 

 

 

真吾オジサンの雑感

 

 

 

短歌・俳句は作者の日常生活のガス抜きになっている。

 

 

 

 

あいも変わらず散歩は続けております。

 

酒を飲むので一向に痩せたことにはならないのですが。(笑)

 

 

 

先日この散歩中、ひとつも短歌・俳句を拵えることができませんでした。

 

 

 

まあこれは俳句をしていたころにもう経験済みでして、

 

こうなる原因は使いたい言葉のストックがなくなったときによくこうなるものなのです。

 

 

 

こういうときってどうしてもあるものですからね。

 

 

 

随分前に

 

 

春愁や貯へもなきわが詩嚢  真吾ニイサン

 

 

こういう俳句を拵えたことがあるのですが、

 

表現してももう同じことの繰り返しのようになったりするものなんですよ。

 

 

 

まあそれにどうしても表現したいものごとなんて

 

そうそうあるものでもないですからね。

 

 

 

こういう表現できる場をもっていない方は

 

あれも言いたいこれも言いたい書きたいにもなるのでしょうけれども、

 

道楽でこういう表現の場を持っている人はそれで結構ガス抜きしているようなところもあり、

 

それどころかもう書きたい、言いたいほどのことも

 

そのうちになくなってきたりするんですね。(笑)

 

 

 

 

悶々としているときにはこの俳句でも短歌でも別の表現でもいいと思いますが、

 

兎に角書いてみることですよね。

 

こうすることによりまして結構ストレスって減らせるものですからね。

 

 

 

それにね、悶々としていることでも

 

それを文字に書いたりますと冷静かつ客観的に

 

自分の思いも見ることができるようにもなるものですからね。

 

 

 

 

俳句をされている方ってね、あんまり陰気な方はいないものなんですよ。

 

ただ陰湿なのは多いのですが。(笑)

 

 

 

まあこうなっているのは、表現する場があることで日常生活のガス抜きが出来ている

 

というのも一つにはありそうに思いますね。

 

 

 

 

 

 

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