2014年9月5日
真吾オジサンの雑感
負態(まけわざ)について。
中経の文庫の「誰も書かなかった 清少納言と平安貴族の謎」という本に
碁の負態(まけわざ)のことが書かれてありました。
広辞苑にはこう書かれてありますね。
【負業・負態】まけ-わざ
勝負事で、負方の者が勝方を供応すること。
供応は、「饗応に同じ。」となっておりまして、その饗応は
【饗応】きょう-おう(キョウヨウとも)
@ 酒食を供して、もてなすこと。供応。
A 迎合すること。
こう書かれてありますね。
この清少納言の本にはこんなことが書かれてありますね。
(略)以上のように、平安期以前から初期にかけては、女性が碁を打つ姿が文学作品に描かれることはほぼない。
だが、平安期の中頃になると、貴族の女性たちが碁を打つ風景はよくみられるようになる。
たとえば、清少納言は『枕草子』一三四段で退屈を紛らわすもののひとつに碁をあげているし、
一五五段では碁の用語を用いて藤原斉信(ただのぶ)や藤原宣方(のぶかた)と雑談をしている。
これは、親密な間柄の男女関係を碁の用語によそえた内容である。
(略)
また、Q18にあるように、『源氏物語』に登場する空蝉(うつせみ)と軒端荻(のきばのおぎ)が碁を打つさまを
光源氏が垣間見る場面もある(「空蝉」)。
空蝉の終始落ち着いて対局する気品ある姿に対して、軒端荻陽気にはしゃぎ、
光源氏の両者の人柄を比較しながら見つめていたのであった。
碁を通じてふたりの人格が的確に表現されている。
さらに、碁の勝敗が決すると負けた方が何らかの饗応や贈り物をすることもあった。
これを「負態(まけわざ)」という。
これはいわゆる罰ゲームであるが、負けた方も楽しんで行っていた。
『紫式部日記』には負態に具された洲浜(すはま)のきらびやかで趣向を凝らしたさまが綴られている。
平安期の女性たちは碁を打ち、その後の罰ゲームも含めて親しんでいたのであった。
こう書かれてあります。
真吾オジサンなどは将棋の世界でも
こういう負態(まけわざ)というのがあってもいいと思いますね。
以前に雑感でこういうことを書きました。
真吾オジサンはこういう風になれますと、
コンピュータ将棋がどれだけ強くなれたところで、
こういう場には将棋愛好家は多分集まることになると思っております。
将棋の世界なりにこうなりまして、居酒屋とかでこの負態で盛り上がると…
結構面白そうに思いますけれどね。(笑)
居酒屋ですることですので、雅なものとも思えないのですが、
でもそう卑しからざる感じもしますけれどね、
こういうことが将棋の世界の慣習になっているのでしたらね。(笑)
こうなれれば、ただ単に阿修羅なことになっているのとは
それとは随分と違うように真吾オジサンなどは思いますけれどね。
あんまり勝った負けたばかりのことになっておりまして、
「どう、私って利口な女でしょう?」
「ひぃ〜 あの女に負けるなんて!」
こういう風でしたら、そういう場には
品の良さそうな女性はあんまり集まらないよなとは思いますよね。(笑)