2014918

 

 

 

真吾オジサンの雑感

 

 

 

斎藤茂吉の「戦場の短歌」について。

 

 

 

 

ここしばらく与謝野晶子のことばかりをこの雑感に書きましたので、

 

今回は反動化しようと思います。

 

 

 

俳句をしていた頃よく古本屋に行っていたものなのですが、

 

そこで「小歌論 斎藤茂吉」という本を見つけまして、それを買いました。

 

 

 

この「小歌論」は昭和181220日に第1刷発行となっております。

 

第一書房さんが刊行所となっておりますね。

 

 

 

 

この本の中に「戦場の短歌」というところがあるのです。

 

先日、そこに掲載されてある短歌のところだけを読んでみました。

 

 

 

 

随分前に戦中の俳句を読んだことはあるのです。

 

これに非常に感銘を受けた経験はあるのですが、

 

短歌でそういうことを経験した覚えがないので、

 

まあ読んでみようかなと思うたわけですね。

 

 

 

 

やはり心動かされるものではありますね。

 

 

 

ということで、この「戦場の短歌」にどういうのがあったのかを

 

折角なのでここに一部書いておきましょうね。

 

 

 


 

 

 

戦死せし若びとたちの背嚢に土産の品も買ひためてあり  田中武彦

 

的のうつ弾丸(たま)はまさしく我が伏しし中洲の上をうなりつつ飛ぶ  菰淵正雄

戦友は伏射壕より横伏せにゆばりして居り弾丸ふるなかに  同

 

爆撃機とどろくを吾が見あげつつ交通壕をつたはり行けり  武田嘉雄

銃身も燃えよとばかり射たしめし放熱筒にそそぐ水筒の水を 同

 

艦速のとどろくなかに銃剣を研ぎすますあり遺書を書くあり  伊藤善吉

 

たえまなくすぐる弾の音疲れたる身には虚しき木枯の音  河村泰蔵

 

突撃令の瞬間に壕を躍り出つ生き死にはなきまさにうつつに  上稲吉

 

報告に友は行きたり一人なるままにして敵の移動みつむる  甘楽竹史

 

馬倒れともに倒れし中隊長は起きあがり軍服の土を拂へり  鈴村左兵衛

 

思はざりし人の死報は伝はりてしばし聲たつる者なかりけり  田中賀津緒

 

戦場の不充不足も馴れゆけば岩鹽汁の味さへもよき  田端善兵衛

 

蝋燭の灯にくつろげば徴発の支那茶も慣れぬ秋深む夜を 辻昭

 

支那釜に今朝久々に味噌たきて貪り食らふ顔ほてらせて  美禰國樹

 

北海道P棚町よりおくり来し慰問袋のするめを焼きぬ  森快逸

貨物車の二階に這ひ上り背嚢を下ろしてウヰスキーを嘗むるごとくす  同

 

上海へ渡洋戦なす兵団の船はしぐるる海を渡りつ  藤原哲夫

あはれあはれ軍馬の骸くろぐろと波のあひだにただよひ行くも  同

揚子江のみなかみ遠くたたなはる雲いま赤き光を帯びぬ  同

 

浮袋捨てある見れば皆ここに強行渡河のひしめきにけむ  角田軍二

 

はてしなき大房山のやまなみに敵のトーチカならべるが見ゆ  中村正雄

 

壕内に語らふ兵のささやきは勲章のこと凱旋のこと  田澤興麿

 

今宵また思ひがけざるところより我が空爆の焔だつ見ゆ  松本武雄

砲声は土に響きて聞え来るけはしき一夜聞き明しけり  同

ヒビカスの花咲く側の小塚には忠馬の墓と記しありけり  同

 

塹壕に共産主義のビラのあり姑娘兵(クーニャンピン)の屍生々しくて  加藤實雄

 

照準つけしままの姿勢に息絶えし少年もありき敵陣の中に  渡辺直巳

 

宵々の空気枕のふくらみに妻の記憶を呼びおこし居り  加藤正雄

 

 


 

 

 

自戒を込めてなのですが、現代の日本人は平和ボケし過ぎですよね。

 

 

 

ですからたまにはこういう作品に目を通すことは

 

これはあってもいいことだと思いますね。

 

 

 

 

こういう作品から、本屋に並べてある最新の数百冊の本を読んでも知ることのできないものを

 

そこから知ることもできそうに思われますね。

 

 

 

 

 

これらの作品を本当のところさらっと読みました。

 

 

 

といいますのも、これらの作品を吟味しながら読み直しますと、

 

真吾オジサンは実は結構涙もろいところがありまして、

 

ボロっとなりそうですので、まだそういう風に吟味をせずにおります。

 

 

 

 

 

 

 

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