20141003

 

 

 

真吾オジサンの雑感

 

 

 

戦をつづけ来たりて幾日か将棋の駒をいつか捨てたり 竹内六郎

 

 

 

 

先日この雑感に斎藤茂吉著の「小歌論」のことを書きましたよね。

 

この本の中の「支那事変の歌」のところに今回の雑感のタイトル名にある短歌も掲載されてありました。

 

 

 

戦をつづけ来りて幾日か将棋の駒もいつか捨てたり 竹内六郎

 

 

 

この短歌をどう評価されるのはこの雑感をご覧の将棋愛好家の読者の諸君にお好きなようにと思いますが、

 

真吾オジサンなどは将棋から全く足を洗っておりましたので、

 

この短歌の作者の気持ちに非常に共感できるところはありますね。

 

 

 

「こんな気持ちにもなるだろうな…」

 

という気持ちに真吾オジサンなどは思いましたね。

 

 

 

昔若かりし頃に将棋道場に行っていた頃のことを思い出したりしますね。

 

 

将棋道場から終電に乗って家に帰るときの、

 

そのときの虚しさのことを思い出したりしますね。

 

 

 

仕事の時だけではなく、私事のことでも戦わざるを得ないことって多いですもんね。

 

こんなものでしょう?

 

 

そういう生活をしておりますと、そのうちに将棋のことに

 

どうにもうんざりすることってあると思いますね。

 

 

 

「もう兎に角戦う・争うことからは距離を置きたい。そこにはもう虚しさが残るばかりなので…」

 

こういう気持ちになることは誰にだってあるはずだとは思いますね。

 

 

 

以前の雑感に将棋の世界は俳句の世界のことを見習うべきだとか書きましたが、

 

それはあの虚しさが残るだけのことよりも

 

居酒屋とかで愛好家同士でわいわいとやるほうが

 

真吾オジサンは体験的に絶対にそのほうが面白いよなと思っているからなのです。

 

 

 

 

 

 

 

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