20141011

 

 

 

真吾オジサンの雑感

 

 

 

入選した俳句のことについて。

 

 

 

 

昨日の雑感に続きまして今回も自慢話で。(笑)

 

 

 

短歌をこしらえるようになったのですが、どうも七七の下の句が必要とならないで

 

それで表現したいことを表現できてしまうことが多いのです。

 

 

 

五七五の俳句でもうそれで表現したいことが間に合ってしまうことが多いのです。(笑)

 

 

 

短歌をこしらえるつもりでいたのがそうはならなくて、

 

副産物の俳句のほうばかりが沢山できてしまうわけですね。(笑)

 

 

 

 

防人の歌をこころに夜寒かな 奥山紅葉

 

 

 

昨日の雑感にも書きましたが、「奥山紅葉」は真吾オジサンの雅号ですね。

 

 

 

 

ちょっと前の雑感にこの防人(さきもり)の歌のことを書きましたよね。

 

 

 

NHK 100de名著 万葉集 はじめに和歌があった 佐佐木幸綱」

 

という本を読んでいるうちにこの句をこしらえました。

 

 

 

ここにはね、

 

 

今日よりは顧みなくて大君の醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つ吾は

 

唐衣裾に取りつき泣く子らを置きてぞ来(き)のや母(おも)なしにして

 

足柄の御坂に立(た)して袖振らば家(いは)なる妹は清(さや)に見もかも

 

 

という歌などが掲載されてあります。

 

 

 

俳句を書き残しているノートを見ますと、810日にこしらえております。

 

 

 

 

 

俳句のほうが慣れているせいか、どういえばいいのでしょうね、

 

そういう視点である対象を捉えやすいような気がしますね。

 

 

 

実感としましては七七の下の句の部分が長く感じられますね。

 

まあこれは慣れでしょうね。

 

 

 

 

 

そうそう昨日の雑感に書き忘れておりましたが、

 

コスモスの…の拙歌、これに季語が入っているでしょう?

 

「コスモス」が秋の季語ですからね。

 

 

 

どうもね、真吾オジサンが短歌をこしらえますと、

 

そこに季語が入っているものになってしまうのですね。(笑)

 

 

 

俳句をしているころには、季語の制約があってそれで表現できることが限られるよな、

 

くらいに思っていたのですけれどね。(笑)

 

 

 

 

どういえばいいのでしょね…

 

季語が入っているほうがイメージがぱぁ〜っと広がるようなところがあるので

 

その力を利用しようとしているのかなぁ…

 

 

 

というよりもこういうイメージを膨らましやすくなる言葉がどこか入っていないと

 

何か物足らないような気にもなりますね。

 

 

 

まあこのようなことをただいまのところ思うているのですが、

 

まあ久しぶりにこしらえた俳句が入選したので

 

これまたいい気分にはなれましたね。(笑)

 

 

 

 

短歌も俳句も入選しましたので、

 

「私もそう捨てたものでもないかもな。これって結構な文才?」

 

と勘違いすることができたことも、まあそう悪くはないものではありますね。(笑)

 

 

 

 

 

 

 

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