20141022

 

 

 

真吾オジサンの雑感

 

 

 

老そめて恋も切なれ秋の暮 几董

 

 

 

 

几董(きとう)は与謝蕪村の高弟だった方です。

 

 

 

広辞苑にはこう書かれてあります。

 

 

【高井几董】たかいきとう

 

江戸後期の俳人。京都の人。几圭の子で、蕪村に学び、夜半亭三世を継いだ。

 

巧妙繊細な句風で、中興期俳壇の一支柱となった。

 

編著「其雪影」「あけ烏」「蕪村句集」など。自選句集「井華集」。(17411789

 

 

 

最近は日本人は非常に長寿ですので老いと言っても

 

いつ頃からそういうのがいいのかよくわからなくなっておりますが、

 

この几董の句、実は几董が41歳のときの句なんだそうですよ。

 

 

 

 

 

蕪村には

 

老が恋わすれんとすればしぐれかな 蕪村

 

という句があります。

 

 

 

わすれようと思っても、降ったり止んだりする時雨のように、諦めることができないのだ

 

ということだそうです。

 

 

 

 

そのうちに今年も時雨が降り出すことでしょうから、

 

そうなったときに「大阪しぐれ」をここで一曲!もいいのですが、

 

まあ今年からはこの与謝蕪村の句も知っておかれるといいかもしれませんね。

 

こういう俳句も知っているようですと何となく利口そうですしね。(笑)

 

 

 

動画 大阪しぐれ 都はるみ

 

 

 

 

 

老いの恋のことについて書きましたので、ついでにこれも。

 

 

初花やかたる友なき老の恋 旦藁

 

 

旦藁は「たんこう」と読みます。

 

少女を初花にたとえて、おとなになりきらない初々しい女性に恋をしたけれど、

 

そのことを誰とも語り合えない、という意味だそうです。

 

 

 

現代とは随分と違って、老の恋というのははばかられる面が当時にはあったのかもしれませんよね。

 

 

 

 

 

俳句をあまりご覧になったことのない方でしたら、

 

「へ〜 俳句は堅苦しそうなものくらいに思っていたがそうでもないんだなぁ…」

 

くらいに思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。

 

 

 

 

 

正岡子規が写生、高浜虚子が客観写生ということを言ったものですから、

 

現代俳句でもその流れがあるのです。

 

 

 

これはこれでいいとも思うのですが、これがいきすぎていて

 

それで面白くない俳句も多いようにも思うのですが、蕪村の俳句は面白いと思いますね。

 

太祇の句もね。

 

 

 

 

蕪村の俳句の中にはドラマ仕立てのような句もあって面白いと思いますね。

 

 

御手打の夫婦なりしを衣更 蕪村

 

 

なんかはそんな感じがしますよね。

 

 

 

 

結構江戸時代の俳句って面白いと思いますよ。

 

 

個人的には現代俳句よりも面白いと思っておりますけれどね。

 

 

 

 

 

 

 

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